歯並びと噛み合わせの正しさと違和感〜私が満足して死ねる条件

セラミック矯正のいいとことは、「短期間で気になるところを治せる」ということかもしれない。

詳しくは、セラミック矯正のメリットでメリットとわたしがセラミック矯正を選んだ理由を…!

まだセラミック矯正の途中(仮歯状態)ではあるけれど、わたしは、不便のひとつであった問題は改善している。
まだ慣れない部分はたくさんあるけれど、見た目には大きく変化した。

こうして写真で並べてみると…、うん、いい感じになっている!

私のセラミック矯正の記録第七話から第十一話までの私の歯並びの変化を写真で振り返ってみる。

元の歯
【見所ポイント!】
・歯の根が見てる、傾いている、など…詳しくはこちら
上の歯:一代目仮歯
【見所ポイント!】
・上の歯4本を一気に仮歯へ
上の歯:二代目仮歯
【見所ポイント!】
・上の歯4本を丸みのあるデザインからシャープなデザインへ
・上の歯4本を短く(前回と見比べると、前歯2本が犬歯よりわずかに短くなっている)

上の歯:二代目仮歯
下の歯:一代目仮歯
【見所ポイント!】
・下の前歯6本を一気に仮歯へ
・抜歯した穴が…
・仮歯6本が斜めにささっている(口を開けた写真の方が分かりやすい)
上の歯:三代目仮歯(今ココ!)
下の歯:二代目仮歯(今ココ!)
【見所ポイント!】
・下の歯6本の厚みを減らし、外に出しつつも、外に出ていないように丸みを持たせている
・下の歯6本の先端が直線的ではなくアーチのように(口を開けた写真の方が分かりやすい)
・下の歯に合わせて、上の歯の厚みを調節し歯を長く(前回と比べると犬歯よりわずかに長い)
・上の歯が長く見えないように、上の歯4本とも横幅も大きく(前回と比べると丸みも出ている)
 

正しさと習慣と違和感

前歯の傾きも治ったし、ガタガタの歯並びもきれいにピシッと揃い、ブラックトライアングルもなくなり、見た目も機能もよくなった。

前歯が出ていると、口が閉じられず、すぐに歯が乾燥してしまい、話す度に唇の裏に乾燥した歯があたる。だから、唇がいつも痛い。
そんないろんな不便は、いっきに解決した。

そして噛み合わせも悪く、前歯のごく一部しか噛めていない状態から、正しい噛み合わせの状態を知り、「あぁ、前歯で食べ物を噛めるってこういうことなのか…!」と、39年生きてきてはじめて私は知った。

ただ、これまで数十年「正しい状態」で過ごしてきていなかった私にとって、「正しさ」は違和感でしかない。
たったの2週間で、この違和感に慣れることはできない。

発音も、食べ物の噛み心地も、全くこれまでとは違う。

まず、前歯の歯並びに大きく関係する発音は、サシスセソのサ行。
サ行は、前歯の間から空気を出す破裂音なので、前歯の噛み合わせが急に変わったことで、すごく出しにくい。
ほかにも、タ行、ナ行など、今までと口の中の環境が全く変わったことで、言いようのない違和感を感じる。

そもそも、正しくない状態で発音に慣れてしまったので、「正しい噛み合わせ」で話すのが難しい。
この「違和感」を、これから仮歯の調整(新しく作る歯の形状)を私自身が違和感のない状態で調整していくのか、それとも、私が「正しい状態」に慣れて行くのか?、どちらが正解なのだろうか。

話すことも食べることも日常に大きく関わって行くことなので、違和感が大きければ、毎日の負担が大きい。
ただ、正しい噛み合わせに私が慣れて行くことの方が、やっぱり「正しい」気もする。

せっかく歯を治すのに、「慣れ親しんだ悪い歯並び」に調整して違和感をなくしていくことがいいことなのだろうか、と私は悩む。

毎回、仮歯の調整をするたびに、一カ所治すと別の箇所に違和感が出てくる。
それは、「何かを変えている」のだから、「以前と変わって」いてあたりまえのことだっだ。

「差」を探してしまう行為は愚かなのかもしれない

どうしても、「以前との差」を探してしまう。

前は普通に出来ていたことが、急に出来なくなる。
それは、私の歯並びが「正しさ」に近づいたからだ。

でも私の身体(口の中の感覚)は、「正しさ」に慣れない。

そんな風に、違和感を探し続けていると、この仮歯の調整は一生終わらないのだと思う。

常に何かを変えれば、何かを違和感と認識してしまう。

口の中のほんの少しの変化がもたらすもの〜「短期で変化する」ということ

例えば今感じている違和感は、
・サ行、タ行、ナ行が言えない
・食べ物を奥歯で噛むと前歯があたって強く噛めない
・毎日こんなに前歯が当たっていいのだろうか?という疑問
・口を閉じてうがいをすると、前歯があたってしまう(強くうがいができない)
・下の歯がピシッと並んで唇に沿っていることで、下唇に圧迫感を感じる
・常に前歯が噛んでいるという、不思議な感覚

噛み合わせに関しては、もちろん、噛みを噛むテストでチェックをしてもらって、正しい状態になっている。

違和感を言葉で伝えるのは難しい。

正しさに私はまだ慣れない。
新しい歯並びで、新しい発音の仕方や食べ方、舌の置き方…などを覚えなおさなければならない。
これまで、喋り方も食べ方も歯磨きの後のうがいの仕方も、舌の場所も、なんにも考えていなくても、自然と身体が覚えていた。
それをすべて「やり直し」する気分。

「短期で変化」ということは、そういうことだ。

芸術的な工作と根本的な原因の解決と私の決めるゴール

そして、そもそもなぜ歯並びが悪くなったのか?というと、顎のアーチが狭いからだった。
この狭いアーチの中に、芸術的な工作によって、前歯を無理やり綺麗に並べている。
これは果たして「正しい」ことなのだろうか?
根本的な原因を解決せずに、「制限のある中でのベスト」を選んだことが。

娘がいまやってる顎のアーチを広げる矯正はこちら

そんな「正しさ」や「慣れ」について考えていると、私は、何を目指しているのか分からなくなる。
私は私が選んだ道で、ゴールを自分で決めなければならない。

わたしは、ゴールのない道を歩きはじめてしまったのだから。

滑舌の悩みと「話しにくさ」、私が満足して死ねる条件

まぁいろいろ考え込んでしまうことはあっても、今の状態に不満を感じているわけではないし、充分に良くなっていると感じる。
私が神経質でめんどくさい性格なのかもしれない。

ちなみに、そもそも滑舌が悪いので、以前から自分なりに調べた方法で滑舌トレーニングは行っていたけれど、この歯の治療が終わったら、プロの指導を受けようと思っている。

私は、一生のうちで、いつか綺麗な発音ができたら、満足して死ねる。

私の滑舌の悪さは、子どもの頃からのもので、歯並びも関係していると思うし、精神的なものもあると思うし、難聴なのもあると思うし、全てが関係していると思う。

子どもの頃は、ずっと言葉が話せず、「唖(おし)の子」だと思われていた。
言葉が出ない。

この「言葉が出ない」というのは、何とも言いがたい苦痛(不思議)だった。
本を読むのが好きな子どもだったので、言葉はもちろん知っているけれど、その知っているはずの言葉が出ない。
なんでなんだろうな〜、なぜか、出ない。
「あ」というその一言が出せない。

緊張して言葉が出ない、口がうまく動かせなくて出ない、自分の音を自分の耳で聞こえないから出せない、なんでだか分からないけれど、言葉が出ない。

社会に出てからの「話すこと」へのコンプレックス

そんな「話すこと」が出来なかった私も、だんだんと成長するにつれ、滑舌が悪いながらも、日常生活を送れるレベルで「話せる」ようにはなっていった。

急に滑舌が悪くなったわけではなく、「ずっとそう」だったから、それがそんなに困ること、というわけではなく、私にとっては、自然と慣れていくしかなかった。

大人になって、働くようになると、できるだけ「話す」シチュエーションが少ない仕事を選ぶようになる。
例えば、接客業は絶対に無理。電話に出る仕事も無理。
消去法で私は、仕事を選んだ。

結果、パソコンを使う仕事は、私には向いていた。
言葉を発さなくても、キーボードを打てば、私の気持ちを伝えることができた。
誰とも話さなくていい。

しかし、「社会人」となると、いくら機械相手の仕事とはいえ、一切言葉を話さないわけにもいかず、会社にかかってくる電話を取らなければならないし、打ち合わせで話しをすることも、人前でプレゼンをしなければならないこともあった。
電話は本当にイヤなことのひとつで、電話に出るのが苦痛で会社を辞めたこともあった。

それでも、自分なりにも努力をしたし、「慣れよう」という意識で、自分の弱点と向き合い、そこそこ普通に話せるレベルにはなっていった。

滑舌が悪くても、私は生きていかなければならない。

弱点に向きあいながら、私は「話すこと」への恐怖を克服していった。

滑舌の悪さと生活の質

滑舌が悪いと、「自分の言える発音」の言葉でしか話さなくなる。
私は、たとえばカフェで飲食物を注文するとき、私は「サ行」がつくものを決してオーダーしない。
食べたいものを食べるのではなく、「発音できる食べ物」を食べるしかない。
サ行は、滑舌の悪い人にとって一番嫌な音だ。
この世界から、サ行がなくなればいいのに!と本当に思っている。
サ行を抹消したいという気持ちは、滑舌の悪い人にしか知りえない感覚だと思う。
多くの滑舌の悪い人はサ行が言えないという事実。

もちろん、人と話をしていると、「え?!」と聞きかえされることが多い。
そんなのは、何万回も経験して、気にしなくなる。
また再度同じことを、滑舌の悪い音で発する。(でもできるだけはっきりと言うように頑張る)

そんな風に、滑舌の悪さは、言いたいことを言い、好きなモノを注文するという選択肢を奪っていく。
これは、苦労した人でないと分からないだろうな〜

心を強くする

とはいうものの、なんだかんだで、慣れることで、滑舌は少しはマシになるし、心を強くすることで、電話や話すことへの苦手意識は克服できる。
私は、今では、そこそこ毎日誰かしらと話をする仕事をしているし、聞き返されることは多いけれど、何度でも、分かりやすいように心をこめて明るく話すように心がけている。

歯並びの話に戻ると

さて、そんな滑舌の悪さで苦労していた経験を思い出すと話は尽きないけれど、私はこれまでの悪い歯並びで必死に努力してきた「発音」を失い、新しい歯並びで新しい「発音」を身につける。
これが「正しい」ことだと信じる。

私は、正しい発音ができたら、満足して死ねる。
私のゴールはここなのかもしれない。

私が違和感に慣れるのと、私の歯の寿命、どちらが先に訪れるだろうか。

もしも先に歯の寿命が訪れてしまったら…、あーぁ、発音の練習はまたいちからやりなおしか。

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